※同人誌「此方輝く黒星に」の後の話です
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外で長身の男が踊っている。
ステップはぎこちなく、なにかを恐れているようにも、躊躇っているようにも見えた。だが、薄いブルーの瞳はきらきらと輝いて、空を見上げている。
倣うように空を眺めて、クウヤ・アマサキは無言のまま吐息した。
クウヤがいるのは、惑星ジズレの首都、セントラル・エリダヌスにあるホテルのラウンジである。人型ロボットから受け取ったコーヒーを啜りながら、クウヤはガラス壁の向こうで「踊る」男――自らの護衛用ギフテッドであるシグを眺めていた。
定期メンテナンスのためにコロニー「ティグリス」から惑星本土へ降りたのが一昨日の夜。昨日メンテナンスを終え、今日はどこかへ出かけようかと言っていた矢先である。
ニュースを読もうと覗いたモバイルには、「雨雲接近中。急な通り雨にご注意下さい」というAIからのメッセージが表示されていた。
天候を制御されているコロニーとは異なり、ジズレの天候はほとんど人工的な影響を受けていない。とはいえ、西暦代に比べ精度の上がった天気予報によりこうして通り雨なども避けることも出来るのだが、「雨」という単語を聞くなり、シグはこう言ったのである。
『マスター。外出を遅らせるようでしたら、一つお願いがあるのですが』
その「お願い」が、これであった。
以前クウヤの実家のある新ストックホルム市に帰った際に雪は経験しているが、雨はまだ味わったことがない。湿度の調整のためコロニーに降るミスト状の雨しか知らないシグが、雨粒を受けてみたい、と言ったのだ。
どうせ通り雨だし、急ぐような用事もない。出発を一、二時間程度遅らせるくらいなんてことない。そう快諾したクウヤは、なにをするでもなく、ラウンジ横の小さな中庭で彼がただ雨と遊ぶ様子を眺めていた。
雨だからか、ラウンジには人が少ない。幸い、楽しげに雨を受けるシグを不審がる者もいなかった。
(子供みたいだ)
目を細め大きな雨粒を顔に浴び、小さな水溜まりを踏んで洋服の裾を汚す。靄がかかり、けぶるビル群を見つめる双眸は一切の曇りもない。そうやって雨を楽しむさまは、「無邪気」以外に的確な表現が思い浮かばなかった。
短い金の髪は雨でぺったりと額に張りついている。もう少ししたら部屋からタオルを持ってきてやろう。いや、それよりもシャワーを浴びさせた方が早いだろうか。そんなことを考えていると、ふと、外にいるシグがこちらを見た。
まさか見ていると思っていなかったのか、目があって、彼は驚いたように目を丸くした後、眉尻を下げて笑った。照れている。
少しだけ笑ってから、クウヤはシグに向かってぱくぱくと口を動かした。
『た・の・し・い・か?』
口の動きを読んだシグが、にっこりと笑って頷く。普段の穏やかな笑みよりも少しだけ浮かれているように見えるのは、やはり雨のせいだろうか。
(だとしたら、少しだけ雨に嫉妬してしま……って、え?)
顎を上下させた後、シグは上機嫌な笑みのまま、あろうことかクウヤに向けて手招きをしたのである。
テーブルを見る。三分目ほど残っていたコーヒーを一気に呷って、形ばかりの苦笑を口の端に貼りつけると、クウヤは立ち上がって中庭に通じるドアを開けた。
「……まったく、後で揃ってシャワーだな、これは」
水溜まりに踵を突き、くるりとターンして、シグがクウヤに向き直った。
「すみません、マスター。ですが、あなたといたくて」
そんなことを言われたら、叱る言葉も断る言葉も出てくるはずもない。ふは、と口を開けてこみ上げた笑みを逃がして、クウヤは差し出された手を取った。大きな手も、雨でしっとりと濡れている。
「たまにすごい殺し文句言うよな、お前」
「そうですか?」
「そういうの、僕だけにしてくれ」
「――それは、もちろん」
ノイズのような微かな雨音を立てながら、雨が降る。コロニーに移るまでに幾度となく見てきた退屈な景色が、今この時ばかりはほんの少し、鮮やかに見えたのだった。