Twitterに掲載していたSSのログです。時系列はバラバラですが、本編読了後がオススメです。
Destin
フロアへ下りろ、と言うロジェの言葉が、ふわふわと頭の中で浮かんでいた。
言いたいことは、分かる。相性のよい人間を見つけるべきで、それが吸血鬼の幸福であるとロジェは口を酸っぱくして言う。
けれども、分からなかった。どんな見た目の、どんな性格の、どんな声をした人間が相性のよい者なのかなんて、ロジェもクラブに先にいた吸血鬼たちも、誰一人として教えてくれなかった。
飲み物をトレイに載せたギャルソンの波をすり抜けて、ふらふらとクラブ内を漂うように歩いているうちに、テラスへ出た。
風が心地いい。
面倒くさいし、人と話をするのはあまり得意ではないけれども、この先の螺旋階段を降りてフロアへ出てみようか。
テラスへ出た頃合いから、不思議なにおいがしていた。
花ともムスクとも違う、けれどもどこか甘いにおい。
風の吹いている先――外からではない。
ではどこから、と辺りへ視線をやった、その時であった。
テラスの乏しい明かりの中では沈んでいってしまいそうな、黒い髪の男であった。
髪は長くて、首元で一つに結んでいる。切れ長でつり目がちの瞳も、髪と同じ色だった。顔色があまりよくないせいで、その黒さがいやに目立つ。
背は、自分よりも少し低いだろうか。つくりのシンプルなフロックコートを着ていたが、見た感じ仕立てはよさそうだった。
――けれども、そんなこと、どうだってよかった。
驚いたのは、先ほどから鼻をつく香りが、その男の方からしていることだった。
甘くて、けれども苦い、たまらないにおいがする。――血の。
「きみ?」
視線がかち合ったからだろうか。男が小さく声を上げた。
少し細いが、低くて聞き取りやすい声であった。
その、薄く開いた口の中で、声を出すために舌先が小さく動いたのが、いやに目についた。
ランプの小さな明かりの中でも分かる。その舌はきっと赤々としていて、噛めばどろりと血が流れるだろう。――この香りのする、血が。
(ああ)
手にはグラスを持っているから、きっとクラブの客だろう。と言うことは、人間だ。
(どうしよう)
まさか、こんな風に、こんななんでもない日に出会ってしまうなんて、考えもしていなかった。
――彼の血を、思うさま啜りたい。