※ここからは抜粋のサンプルです(連続していません)
◆
「それにしても、お前……」
「はい? 私が、なにか?」
なんのことだろう、と首を傾げる。クウヤはシグを見上げた後、ぱくぱくと数度口を開閉させたかと思うと、ぱっと俯いた。
「ずっと僕の方見てにこにこしてるから、その、照れるって言うか、恥ずかしかった……」
至極言いづらそうにそう言って、再びおずおずと見上げてくる。護衛対象であり、自らのオーナー権を保有しているマスターに抱くべき感想ではないであろうが、とても可愛らしい仕草であった。
「そう仰いましても、あなたは私の護衛対象ですから、マスター」
「見られてるのはいい加減に慣れたが、お前、ずっと嬉しそうに笑ってるから……」
つい、手が伸びた。
左右非対称の髪を巻き込むように、頬を手でくるむ。すべらかな肌を楽しむようにひと撫でして、シグは落ち着いた声で彼へ語りかけた。
「マスターがお仕事をなさっているのを、初めて見たものですから。真面目に仕事へ打ち込むお姿に、つい見惚れてしまいました」
「……お前、言ってて恥ずかしくないのか?」
そう言いながらも、クウヤが手を振りほどく素振りはない。親指で目尻に触れると、羞恥のためか、そこは薄赤く色づいていた。
「いえ、まったく。事実を述べているだけですので」
「聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
「ですが、嘘は申しておりませんよ、マスター・クウヤ。あなたは私の、自慢のマスターです」
チン、と小さなベルのような音を立てて、エレベーターが停まる。
「……じゃあ」
開きつつあるドアの前で、クウヤがそっと身を伸ばした。美しい顔が、眼前に迫る。
「自慢のマスターなら……僕の言うこと、一つ聞いてくれ」
「私に出来ることであれば、なんなりと」
触れるだけの、瞬きのように短いキスであった。
「お前が欲しい。今、すぐに」
囁かれた言葉の熱さに、くらりと目眩がしそうだった。黒の輝く双眸は、ただシグだけを映し、欲してくれている。であれば、自分に出来ることは、持てるもの全てでその望みに応えることだけだ。
ドアが開ききり、廊下へ出ようとする体を背後から抱きすくめて、その耳元へ囁き返す。
「……マイ・マスター。全てあなたの仰せの通りに」
私の主と呼ぶ名にありったけの想いを籠める。
自分には彼しかいないのと同じように、彼を守る存在もまた、自分だけであればいい。少なくとも今は、そうであるはずだ。
「ただ誘っただけなのに、大げさなやつだな」
呆れたように言いながらも、クウヤの口の端には笑みが浮かんでいた。
◆
シグの体の、腹筋の溝を辿るように指先を滑らせる。そうして、ローションと体液で湿り気を帯びた下生えに触れると、びくりと体が強張った。
「……マスター?」
「少し、試してみたいことがあって」
「試す……?」
下生えをくすぐるように撫でたかと思うと、指はその下の、精を吐き出したばかりの性器に絡んだ。指は根元から先へと動き、くるくると指の腹で亀頭を刺激してくる。素直な体は、軽い愛撫だけで反応を返してしまった。それを見たクウヤが、小さく笑う。
「本当にお前、元気だな」
「……マスターに触れて頂いていると思うだけで、つい……」
「まぁ、いいや。……言っておくが、僕もそんなにされたことないから下手だと思うけど、文句言うなよ」
なんのことです、と問いかける前に、答えは行動をもって示された。
クウヤが、思い切り身を屈める。そんなに前傾しては顔に触れてしまう、と思った瞬間に、おずおずと開いた唇が挟むように亀頭をくわえ込んだ。
「マスター!?」
「……んん……」
唇の奥から出てきた舌が、ちろりと亀頭の割れ目をねぶる。そのまま舌を突き出し、性器の輪郭をなぞるように先端から動く。
「これはっ……」
「……フェラチオ、オーラル・セックス……?」
「いえ、行為のことを聞いているのではなくて、ですね……!」
目線だけ上げ、シグが漏らした声に答えるように行為の名称を口にしたかと思うと、クウヤは再び顔を俯かせ、茎にキスを落とした。
◆
「今日はね、二人とも寒い思いをしたと思って、お鍋にしたの」
口に手を当て、ふふ、と少女のようにユカノが笑う。口振りからして、彼女の手作りだろう。
「『お鍋』……?」
それは料理名ではなく調理器具の名前ではないだろうか、と思っていると、隣にいたクウヤが口を挟んだ。
「寄せ鍋。日本食で、乾物とかで取った出汁に色んな具材を入れて煮込むんだ。で、それを箸で取り分けて食べる」
「な、なるほど……?」
これまであまり日本食を食べたことのないシグには予想がつかないが、テーブルの中央に据えられている鍋の中身が「お鍋」なのだろう。そう考えると、いささか複雑な構造をしている料理である。
「さ、座って二人とも」
木のテーブルに腰かけると、ユカノがミトンに覆われた手でゆっくりと鍋の蓋を取った。
ふわ、と巻き上がった湯気の間から、ゆっくりと煮込まれた材料が見える。数種類の野菜に魚、ボールにまとめられているのは鶏のミンチだろうか。白く四角いものは、いつぞやに料理雑誌で見たことのある豆腐だ。
「……すごいですね」
「寄せ」と名のつくだけあって、様々な材料が、まさに身を寄せ合うようにして鍋に収まっている。初めて見る料理を興味津々に眺めていると、隣に座ったクウヤが小さく笑った。
「早く食べろ」
「ええと」
「好きなものを小鉢によそえばいいんだよ」
そんなやりとりを聞いていたユカノが、向かいから軽く身を乗り出した。
小さな電子コンロにかけられた鍋から、バランスよく小鉢に具を取り分けていく。そうして出来上がった小さな寄せ鍋のような容器を、彼女は笑顔でシグに差し出してきた。
「さ、どうぞ」
「ありがとうございます」
「クウヤもやってあげようか?」
「……僕はいいって」
呆れ顔で返して、軽く腰を上げると、クウヤは慣れた手つきで鍋の中身を小鉢に移した。
「いただきます」
「……いただきます」
クウヤが言うのに合わせて唱え、まずは白菜を取る。火が通ってしんなりとした葉は、醤油の入った出汁をよく吸っていて、美味しかった。
「美味しいです!」
「そう? よかった。いっぱい食べてね」
食事をしていると、どうしても無言になる時がある。しかし、通話で少し話したことのあるとは言え、ユカノとは初対面であるのに、無言が気まずくなかった。
(マスターがいらっしゃっるお陰だろうか)
彼の隣にいるだけでいつもの自分になれる気がする。それだけ、二人で時間を共有していると言うことだろうか。
「ねぇ、シグくん」
黙々と食べるクウヤを見ていたユカノが、おもむろに口を開いた。
「はい?」
「料理するのよね? クウヤに聞いたわ」
「ええ。腕前はまだまだですが」
「クウヤ、食べさせ甲斐がないんじゃない? なにを食べても反応が悪いでしょ、この子」
「……?」
いかにも心配そうなユカノに、首を傾げる。
反応が悪いところなど、一度も見たことがない。なにを作っても、クウヤは必ずすぐに口に運び、はにかみながら「美味しい」と言ってくれる。
「いえ、いつも『美味しい』と仰って下さいますが……」
隣のクウヤがはっとした顔でシグを見つめたが、つい、反射的にそう返してしまっていた。
言い終えた瞬間に、クウヤがはあ、と俯いて嘆息を吐く。あら、とユカノが真面目な顔を作って、感心したように小さく顎を上下させた。
「あのクウヤが……」
「ああ、もう」