「砂糖菓子の鼓動」サンプル

《次のニュースです。――また痛ましい事件が発生しました》

 AIの合成音声がニュースを知らせる。冷淡に、無感情に。

《新アムステルダムでハウスキーピング・ギフテッドが所有者である女性に殺害されました》

 ニュース映像を投影されたリビングルームの白い壁が瞬時に色を変えた。新アムステルダム市の位置を示す地図と同時に、「女性がギフテッドを殺害」と言うテロップが躍る。

《女性は『老いぬ体に嫉妬を抱いた』と供述しているとのことです。被害者のギフテッドは遺伝子操作により外見が老化しないようになっており、それが事件の引き金と――》
「モバイル・アシスタント。ニュース停止」

 読み上げられていたニュースが、背後から投げかけられた命令に従ってプツリと途絶える。
 振り返ると、男が立っていた。
 身長は一八〇センチを超えているだろう。誰もが目を奪われるような、整った顔立ちの男である。
 垂れがちのブラウンの瞳が、目尻に甘ったるい色気を漂わせている。ゆるくパーマがかかった濃い金茶の髪は額の両側からゆったりと流れていて、顔立ちにいっそうのやわらかさを加えていた。

「くっだらねぇ」

 軽薄さと柔和さを絶妙なバランスで両立させた男が、閉じていた唇をほどく。吐き出された声は穏やかで、だからこそ言葉がきりりと尖って聞こえた。

「まーね。ボクも聞き飽きた」

 首肯をもって男の言葉に同意しながら、エクレチカ・レチカは腰かけていたソファーから立ち上がった。

「不老不死なんてものに、人間は未だに憧れて、ギフテッドを妬んでる。別に死なない訳ではないのにね」

 言いながら、目の前にあるローテーブルに置いてあった明るいブラウンのジャケットを手に取る。振り返って手渡すと、男はジャケットの袖に腕を通しながら嘆息した。

「そんな感情、抱いてもムダなのにな。……西暦代から人間はなにも変わっちゃいないさ」

 人類が地球を巣立ち、暦を西暦からマルグリット暦に改めて二七六年。
 このエリダヌス座のラーン星系にある惑星・ジズレでも、人類は生物の頂点として君臨している。――地球移住と前後して生み出された新人類・ギフテッドを従えて。
 誕生の前から遺伝子操作を施され、培養ポッドから生まれるギフテッドは、軍用の[[rb:武装 > アームド]]ギフテッドから家庭で扱われるハウスキーピングまで幅広く人類の暮らしを支えている。
 エクレチカ・レチカも、その一人であった。
 官民合同のギフテッド生体脳開発プロジェクトのテスト体。西暦代のイタリア語で「多才」を意味する「エクレチカ」はプロジェクト名で、「レチカ」と言うのは男――アルブレヒトが名づけた個体名称である。
 アルブレヒト・アルバネスト。政府に干渉する巨大財団を運営するアルバネスト一族の長子。プロジェクト・エクレチカのリーダーである彼は、レチカのマスターでもある。

「国と言う共同体はなくなり世界は一つになった、なんて言っても、結局地球にあった国境はエリアの境として未だにジズレにも存在し続けている。エリアの長たちは他のエリア長よりも自分の方が優れていると主張することに腐心して、横の繋がりは強固と言うよりはゆるやかだ。よくもまぁ、今まで連合政府が保ってるよ」
「アルってば、珍しくシニカルじゃない」

 愛称で呼ばれたアルブレヒトが、大きな唇の端をめくり上げるようにして笑った。

「事実だろ」
「そうなんだけどさ。……『与えられた者ギフテッド』だなんて、科学者たちも随分素敵な呼称を思いついたもんだよね。――『天は二物を与えず』って、ほんとその通りだよ。欲深くギフテッドなにもかもを求めるのは、カミサマでは有り得ない、人間のさがってやつかな」

 つらつらと話を続けると、アルブレヒトが興味深そうに目を細めてこちらを見た。使役されている側であるはずのギフテッドが皮肉を言うなんて、珍しいのはお前の方だろう、とでも言いたげな眼差しである。

「……ボクたちには恣意的か、カミサマってやつに任せた結果の産物かという差しかないのにね。ボクは、いつか人間たちが同じ生まれ方をしたヒトにまた新しい名をつけて、差を生み出そうとするんじゃないか……って心配してるよ。そう思わない?」
「ご忠告ももっとも。流石はエクレチカ」
「それ、褒めてる?」
「この上ない賞賛だろ。人間に対する深い洞察、ギフテッドでありながら遠慮と容赦のない言葉。お前のそういうところ、俺は好きだよ」

 にやりと笑ったアルブレヒトは、見るからに楽しげだった。
 普通の開発者は、叱責するか黙って脳のメンテナンスに回しそうな発言をしたのに、よくも気楽に聞いていられるものだ。――そんな彼だから、レチカも思ったことを口に出来る訳だが。

「そりゃあ、あなたが設計したギフテッドだからね」

 小さく胸を反らせて威張ってみせると、はは、とアルブレヒトが軽く笑った。

「そんな細かく性格面にまで手を入れてないぞ? ……ま、俺はせいぜい今を享受するよ。そのギフテッドの開発で飯を食ってる訳だしな」

 言葉を区切った後、アルブレヒトがすい、とこちらへ手を伸ばしてきた。
 大きな手が、レチカの頬を撫でさする。
 輪郭を確かめるような手つきを受け入れながら、レチカは彼がなにを思っているのだろうかと考えた。

(相変わらず面白いやつだな、とか思われてる? ――それとも、もっと真面目なこと?)

 彼の性格と日頃の言動を、頭の中でトレースしてみる。開発のために生み出された、情報処理を得意とするギフテッドの中でも屈指の――少なくとも公式では最高峰に位置する脳が、試験よりもうんとくだらぬ思いつきのために高速で回転し、演算を始める。
 レチカの外見は、マスターであるアルブレヒトの好み通りに造られている、らしい。「テスト体とは毎日一緒にいるんだから、好みのやつがいいに決まってるだろ」とは本人の談だ。
 アルブレヒトはこれまで女性ともそれなりに遊んできたようだったが、本当は男性の方が好みらしい。――それも、自分より年下の、少年から青年ほどまでの、若い男性が。
 身長一六五センチ。ミルクチョコレートの色をした髪はやわらかな毛質の少し長いショートスタイル。髪と同じ色のくりっとした大きな瞳。変声期を迎えたばかりの、わずかばかり低い声。
 それがレチカの外見であり、アルブレヒトが思う「理想の少年」の姿であった。

(……やめよ。人間アルがなに考えてるかなんて、口にされない限りボクには関係ないことだし)

 思考を止めて、頬に触れる手へ自らのそれを重ねる。反射的に閉じていた瞳を開くと、目の前の男が思っていたよりも真剣な顔をしているのに少しだけ驚いたが、一瞬ののちにその真摯さは失われ、代わりに唇にはキスが降りていた。
 唇が重なったのは、たった一瞬のことだった。もっと長いキスだって、それよりも深い身の重ね方だって何度もしてきていたが、今は午前八時。二十七時間制であるジズレでも朝にあたる時刻である上、二人は出勤前だ。彼が「なにか」をしようとしてくるとしたら、仕事を終えた夜だろう。

「そろそろ行くか」
「うん。……ホーム・マネージャー、ボクとアルは外出するね」
《承知いたしました》

 部屋のコントロールを司っているAIへ声をかけてから、バッグを持って玄関に向かい、最後に鏡の前で身支度を確認する。
 グレーのチェックのズボンに、明るいベージュのカーディガン。最後に白い丸襟のシャツの襟元を飾る細い黒のリボンの形を整えて、アルブレヒトとともにドアの外へ出る。
 閉じるや否や滑らかにシリンジが回り、ロックがかかった扉を背にして、レチカは隣に立つ彼へ改めて声をかけた。

「じゃ、行こっか、アル」

 自動運転の車で研究室とアルブレヒトの自宅を往復する日々。
 試験で体をロストしても、頭蓋に埋め込まれたチップと脳によるバックアップから幾度もリカバリーを果たし、理論上の永遠を生きるエクレチカ・レチカにとってなんてことのない日常が、今日もこうして始まってゆく。
 ――これはアルブレヒトにとって一時いっときの幻のようなもので、長くは続かぬ暮らしなのだと理解しながら。

 ◆

 数週間の経った、ある日のことだった。
 セントラル・エリダヌスの官庁が立ち並ぶビルの一つ、保健衛生福祉省の会議室にアルブレヒト・アルバネストはあった。
 大きなテーブルの向こうには保健衛生福祉省に属するギフテッド倫理委員会の委員が二人。それから、自分にプロジェクトを任せた政府高官が三人。合わせて五人の人間と相対しながら、アルブレヒトは冷静に言葉を紡ぎ出した。

「プロジェクト・エクレチカの解散、ですか」
「ああ。データを見る限り、現在の技術では現状がギフテッドの脳の限界であろうと、倫理委員会とともに判断した」

 悪くない判断だ、とアルブレヒトは心中で頷いていた。
 その通りなのだ。テストは定期的に行われていたのだが、現状の限界以上のデータを処理させようとすると、レチカは処理しきれず、脳を過熱させて[[rb:死 > ロスト]]を迎える。
 多くの要素が絡む複雑なデータを捌くには、機械よりも人間の脳の方が適している。かと言って、今よりも高性能な処理能力は、人間の脳では限度があるのも事実であった。

「……二週間後にギフテッドのゲノム解析を含んだ巨大データの処理試験を予定しています。その後でもよろしいでしょうか」
「構わんよ。年内を目処に実験を終え、来年三月までには最終的な報告書を上げてもらいたい」

 年内、か。一日の時間が二十四時間から二十七時間に増え、二月が三十日間に変わりはすれども、一年の単位は西暦代から変わっていない。
 現在は十一月の終わり。大規模テストがあるのが十二月の中旬だから、年末なんてあっと言う間だ。

「承知いたしました」

 深く頭を下げた向こう側で、どこか安堵したような雰囲気を感じ取る。
 アルブレヒトが「プロジェクトを終わらせたくない」と言うとでも思っていたのだろうか。

(馬鹿馬鹿しい。子供でもあるまいし、そんなことするかよ。ギフテッドの脳の限界なんて、お偉方よりよっぽど俺が理解してる)
「研究室の今後のスケジュールは、追って皆様へご連絡いたします。それでよろしいですね?」

 慣れない愛想笑いを浮かべて言うと、政府の人間たちはプロジェクトの終了についてあれこれと話を続けた。

「研究員にはこちらから通達をするが、アルバネスト博士からもフォローを――」

 にこやかな顔で話を聞きながら、アルブレヒトが考えているのは他のことだった。
 研究員の行く末など、どうでもいい。

(レチカ……)

 プロジェクトの終了は、テスト体ギフテッドの処分を意味していた。

 ◆

 ふと顔を上げると、ロビーの壁には大きなモニターが埋め込まれていた。
 官庁に飾られているアート作品のうちの一つだ。西暦代の画家・ゴーギャンの有名な絵画から着想を得たもので、モニター上部にある小型カメラが、前に通った人物を解析してAIで幼少期と加齢したイメージ映像を作り出し、撮影した現在の姿の両隣に表示させる。
 幼少期のアルブレヒトをイメージした映像は、実際の自分の少年期と姿がいささか異なっている。だが違和感を感じるのは、アルブレヒトが幼かった頃を知っている人くらいで、他の人間はさほど差異を見つけられないだろう。よく出来たAIだ。
 加齢させた方は、ぱっと見五十歳くらいだろうか。目尻の皺に、白っぽくなった髪。スーツのジャケットから出た手の皮膚にも皺が寄っている。
 年を取った自分なんて想像もつかなかったが、父の姿に少しだけ似ていた。
 マルグリット暦になってもなお、人間は寿命と老化から逃れられない。なにごともなければ、アルブレヒトもこうして年を重ねていくのだろう。

(……レチカは)

 レチカがここに立ったら、どんな映像が映し出されるだろう。
 ――彼が成長したら、どうなるだろうか。
 これまで、レチカが年を取るところなんて、一度も想像したことがなかった。当たり前だ、テスト体ギフテッドである彼は、年を重ねることなく、これまでに数度実験で命を落としている。
 少年が好みであるのは事実だ。だが、レチカが少年期を抜け出して、青年になっていくとしたら。
 アルブレヒトは、自然と大人になっていくレチカを想像していた。背は今より伸びるだろうか。低くなった声は、どんな風に耳を打つだろう。

「アル!」

 夢想を打ち砕いたのは、エクレチカ・レチカ本人の声であった。

「ごめんね、お待たせ」

 別室にいたはずのレチカが、早足でこちらに向かってくる。
 アルブレヒトとは異なる会議室に呼ばれたものの、彼も自分同様の通達を――プロジェクトの終了を聞かされたに違いない。であると言うのに、その表情はいつも通りの、アルブレヒトが好む、快活な少年以外のなにものでもなかった。

「どうしたの、アル。――ああ、ここのアートかぁ。面白いよね、これ」

 モニターのすぐ脇で立ち止まったレチカが、映像を一瞥してふふ、と笑みを零した。

「おじさんのアルもいいね。……でも、未来の本物はもっとイケてると思うけどなぁ」
「……そりゃそうだろ」

 カメラの画角に収まることなく、ジャケットとスラックスをまとった細い体が、ローファーに包まれた踵を軸にくるりと回転する。

「ねぇ、アル」

 レチカの声が甘やかにアルブレヒトを呼んだ。丸い瞳がやわらかくひしゃげて、愛らしく微笑む。

「ボク、次のテストもがんばるね」

 がんばらなくていいよ、とは口が裂けても言えなかった。エクレチカ・レチカと言うギフテッドは、テストを受けるために生まれたのだから。

「帰ろっか」
「……ああ」

 目が合う。にこりと笑いかけられる。自らの処分を知らされた後だと言うのに、いつものように朗らかに。
 そんな風に笑まれては、なにも言えなかった。ここに立ってみろとも、お前が年を取ったとしても嫌ではない気がするとも、なにも。
 軽やかな足取りでエレベーターに向かっていくレチカを、ゆっくりと追いかける。外に面した大きな窓が、二人のシルエットをモニターに向かって投げかけた。
 加齢させた自分のイメージにレチカの影がかかる。笑っているように見えていた口元に影が差して、それだけで随分と表情が暗く見えた。
 笑みを取り去った老いた自分が、視界の隅でもの言わぬままこちらを見つめている。なにか言いたげにも見えるその映像から視線を外して、アルブレヒトは歩みのペースを上げた。
 馬鹿馬鹿しい。未来のことなど考えるよりも、今はもっと他に考えるべきことがある。
 ――だって。
 アルブレヒトの「未来」に、レチカは存在し得ないのだ。

 ◆

「アル」
「……なんだよ」

 名を縮めて呼ぶ声が硬い。ちらりと見やると、レチカはホルダーからシートベルトを引っ張り出しながら口を開いた。

「さっきからなに考えてるか、当ててあげよっか。ボクの処遇に困ってる」
「……違う」

 滑らかに走り出した車窓の風景を眺めているレチカと窓ガラス越しに視線を合わせ、否定の言葉を口にする。ガラスに映った瞳が、慰めを含んだ色でアルブレヒトを見つめ返した。

「テストは終わったんだし、もう一緒にいる必要、ないんじゃない? それとも、まだモニタリング続ける?」
「……そうじゃない」
「ボク、プラントにいたっていいよ」

 コーデュロイの細身のボトムスに包まれた足が、足元の空気をかき混ざるようにぶらぶらと揺れる。

「俺が嫌だ」

 うめくように返すと、頬の薄い皮膚がわずかに膨らんだ。

「……じゃあ、なんなのさ、もう」
「好きだ」
「は?」

 窓を見ていた顔が、ぱっと振り返って横にいるアルブレヒトの顔を見た。信じられないようなものを見る目だった。

「お前が好きだから、出来るだけ一緒にいたい。ダメか?」
「……なに、それ」

 彼に好意を伝えたのは、なにもこれが初めてではない。それなのに、レチカの瞳は揺れ、声は微かに震えていた。

「ボク、途中で飽きられると思ってた。お前よりいいテスト体が作れたから、じゃあな、って」

 愛らしい目尻にきりりと力を込めて、レチカがアルブレヒトを睨みつけた。

「……なのに、その顔はなに? 今更いい人ぶらないでよ」
「……悪い」

 そんなに情けない顔をしているだろうか。反射的に口にした謝罪の言葉に、レチカの優しげな眉がひくりとうごめく。

「倫理委員会の偉い人もそう。『なにかしたいことはあるか』、だって。……なにそれ、って感じ。急に人間みたいな扱い方しちゃってさ!」

 大きく息を吐くと、レチカは彼にしては珍しく強い口調で言葉を継いだ。まるで、これまで腕の中に抱え続けていたものを、耐えきれず投げつけるように。

「そんな顔するんだったら、……そんなこと言うんだったら、……ボクも言っていい?」

 これまでずっとアルブレヒトの――人間の行いに目を瞑ってきた彼である。なにか思っていることがあるのなら、テストが全て終わった今この時に、洗いざらいぶちまけて欲しい。
 深く頷くと、レチカがアルブレヒトの腿に手を置いた。抑えきれぬ感情のためか、声だけでなく、指先まで震えている。

「……最後までそばにいてくれる?」

 語尾を滲ませて、レチカはそう囁いた。

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