モニターに、いくつもの波形が映し出されている。それを見て、同僚がふっと安堵したように息を吐いた。
「フィジカル、メンタルともに問題なさそうですね。エクレチカもそろそろシャワー室から戻るでしょう」
「了解……っと」
ギ、と音を鳴らして背もたれに体を預ける。コーヒーの入ったカップを引き寄せて中身を啜りながら、アルブレヒト・アルバネストは目まぐるしく移り変わる画面を見つめた。
「んー……」
「おい、エクレチカ!」
空気の抜ける音と続いて響いてきたぺたぺたと濡れた音に、振り返る。
同僚である研究員の制止を無視する形で、モニターに映っていた少年がバスローブを肩からかけた格好でこちらに歩いてきている。それを確認してモニターに向き直ると、後ろから伸びてきた湿ぼったい手がカップを奪い取った。
「おいし。あったかーい」
ふう、と細い吐息が湯気を飛ばす。それを一瞥して、アルブレヒトは情報を確認する作業に戻る。
「で、どう」
明るい栗色の毛先からタオルへ水滴を吸い込ませながら、少年――エクレチカ・レチカが問いかけてくる。
「お前相手じゃ問題なしってとこだな。あくまで対象がお前ならって話だが」
「ご明察。ボクはデータベース直結型だから多少のオーバーフローもどうにか流せるけど、スタンドアロン型だとキツいだろうね」
「……やっぱりか」
カップを取り戻し、コーヒーを喉に流し込む。瞼をきつく閉じ、目頭を揉みながら、アルブレヒトは半ば独白のように呟いた。
「ニューロンへの負荷を考慮しないとマズいな。スタンドアロン型はもっと負荷を減らして……軍用にしたってもう少し一度に処理する容量を……」
「アル」
冷水に浸かっていた手がひたり、と肩に触れていた。
なんだ、と振り返りかけた頬に、手と同じく冷えた唇が触れる。
「ボクに手伝えること、ある?」
一部始終を見てしまった同僚たちのなんとも言えぬ視線が背に突き刺さったが、頬へのキスくらいなんてことない。モニターを覗き込んでくる愛らしい横顔を見ながら、アルブレヒトは形ばかりの小言を口にした。
「そりゃもちろんフィードバックは山のように欲しいが、お前その前に服着て来いよ」
「うんうん」
生返事だ。どうやら既に興味は今し方行った実験の分析に移っているらしい。ローブの前をゆるく結びながら、隣の空いている椅子へ腰かけ、ふんふんと幾度か頷きながら複数あるモニターの一つを熱心に見つめている。
「ここの脳波の細かいとこが見た……アル?」
視線に気づいたエクレチカが、真剣な表情をわずかに崩し、怪訝そうにアルブレヒトを見返す。
「どうかした?」
「……いや」
シャワーで冷えた手はデスクに投げ出されて、ぐっと力を込めてモニターへ乗り出す体を支えている。
「なんでもない」
『……レチカ、エクレチカ!』
冷たい手が動かず、持ち上げてもぱたりと落ちることだってあることも知っている。それを考えれば、こちら側の指示を無視することくらい可愛いものだ。
そう思うと、不意に思考がずぶずぶと過去と言う名のぬかるみに落ちていった。
思いを馳せるほどの昔でもない。年数にすれば、二年と少しと言ったところか。
すぐ隣で脳波をチェックするレチカを感じながら、アルブレヒトは昔のことを――この少年と出会い、初めて殺してしまった時のことを思い出していた。
◆
エクレチカ・レチカとの出会いは二年ほど前に遡る。
セントラル・エリダヌスの大学院に残り、ギフテッドの脳についての研究をしていた時である。連立政府からの呼び出しに、アルブレヒトは眉をしかめた。
どうせまた、つまらぬプロジェクトに参加せよと言われるのだろうと思っていたのだ。
予想は半分当たっていて、半分外れていた。プロジェクトへの招聘であったのは確かだが、もし参加した場合、アルブレヒトにプロジェクトのほぼ全権を与えると言われたのだ。
内容はギフテッドの脳開発。まだ名もないプロジェクトに、アルブレヒトは諦め半分の気持ちで参加を決めたのを覚えている。
アルバネストは、地球で最後のノーベル物理学賞を受賞したフランク・アルバネストを祖先に持つ家系である。現在も「地球、ジズレ、宇宙の全てを記録する」ことを目的とした財団を運営し、財閥が形骸化したマルグリット暦においても名家と数えられる家だ。
宇宙工学や宇宙物理学を専門とする者の多い一族の中で、ギフテッド開発を専攻するアルブレヒトは異端の存在であった。直系の長子であるのにふらふらと遊んでいる、と言うのが一族の大方の意見で、財団の仕事に従事している祖父や父もいい顔をしていない。
アルバネストの直系に生まれた以上、ゆくゆくは財団の理事を継ぐことが決まっている。ギフテッドの研究をしていられるのは、せいぜいあと十年か十五年と言ったところだろう。
つまり、アルブレヒトには時間がなかった。
大学院に残ってだらだらと研究をするよりも、政府主導のプロジェクトに携わっていた方が、なにかと聞こえもいい。ギフテッド研究者としての残りの人生を、そこで終わらせるのも悪くないと思ったのだ。
官民合同のプロジェクトとして立ち上がった計画は、本当にアルブレヒトにほとんど全ての権限を委ねた。決まっているのは「今後のギフテッドの脳開発の指針となりうる、先進的で包括的な開発」と言う漠然としたテーマくらいで、プロジェクトの名から、テスト体ギフテッドのデザインまで、アルブレヒト一人で決めなければならなかった。
最初は面倒なことをさせる、と思ったが、好きにしていいのだと考え直すと楽しくなってきた。そこまで見込まれているのならば、好き勝手やってやろうと思ったのだ。
プロジェクト名はイタリア語で「万能」を意味する「エクレチカ」とすることにした。政府の上役が集めてきた候補から同僚となる研究者を選び、テスト体となるギフテッドのデザインをする段になって、アルブレヒトは少しだけ悩んだ。
テスト体は、普通成人のギフテッドを選ぶ。だが、どうせ毎日顔を突き合せることとなるギフテッドだ。どうせなら、毎日見たって飽きない容姿がいい。
悩みに悩み抜いて、テスト体には少年のギフテッドを選んだ。さらさらの栗色の髪に、同じ色の大きな瞳。変声したばかりの声。誰が見たって可愛らしいと思うような少年像に、見た目同様に少年らしい快活な性格。
アルブレヒトは、少年が好きであった。
自覚したのは大学にいた頃であろうか。同性愛者ではくバイセクシャルであり、これまでも女性としか付き合ったことはなかったが、自分の好きに出来る存在であるならば、「理想の少年」を作ってみたかったのだ。
テスト体ギフテッドを少年とする、と採用されたばかりの同僚たちに告げた時、微妙な顔をされたが気にしなかった。プロジェクトの主幹研究員である自負があったし、どうせ「アルバネスト」に楯突く変わり者などこの業界に存在しないだろう。実際、なにか言いたげな表情をしたものの、同僚たちは異を唱えることはなかった。
テスト体の培養は順調に進み、目覚める日が決まると、当日にはプラントまで迎えに行った。
プラントに行くと、もうテスト体は目覚めていると職員に告げられた。ロビーで待っていると、白い簡素なワンピース型の検査着を纏った少年が、廊下からゆっくりと歩いて来るのが見えた。
容姿まで細かくデザインしたから、名乗らずとも分かる。彼がアルブレヒトがデザインした少年ギフテッドだ。
「あなたがドクター・アルブレヒト・アルバネスト?」
これまで幾度か夢に見た通りの、ハスキーな声だった。
「ああ、そうだ」
「ふぅん……」
培養を終えたばかりの少年が、不思議そうに首を傾げる。自分やプロジェクトについての知識は一般常識とともに脳にインストールしていたはずだが、なにか情報の乖離があっただろうか。
「どうした」
「いや、頭にある映像データよりも、実際に見る方が魅力的に見えるなって思って。そうか、表情筋の動き方がいいのかな」
「……初対面でえらい褒めようだな、レチカ」
肩を竦めて、アルブレヒトは握手のために手を差し出した。
「レチカ? ボクのプロジェクト名はエクレチカでしょ?」
「お前の名前だ。エクレチカはプロジェクト名だろ。名前がないと日常生活で不便だ」
「……そうかなぁ?」
「少なくとも、俺はお前のことはそう呼ぶ。分かったか、レチカ」
「はい、ドクター」
にっこりと、文句のつけようがないほど満面の笑みで、テスト体ギフテッド――エクレチカ・レチカが手を取る。
握られた手はアルブレヒトのそれよりうんと小さかったが、温かかった。
◆
それから、アルブレヒトはエクレチカ・レチカと寝食をともにするようになった。
研究所に二十七時間フルで医療スタッフを配備し、モニタリングさせることも出来たが、日常の簡単なモニタリングくらい、端末さえあればどこでも出来る。
それに、テスト体だからと言って、狭く退屈な個室に彼を押し込めることは気が引けた。倫理観の問題ではない。単純に、こんなに可愛い少年がいるのに、そばから離れるのが嫌だったのだ。
「明日、初めてのテストだな。緊張してるか?」
外食に連れて行き、イタリアンのコースを平らげたレチカが、食後のドルチェを頬張りながら首を振った。
「ううん。別に」
この分なら、心理ケア――カウンセリングの必要はなさそうだ。渋いエスプレッソを舐めるように飲むと、フォークを置いたレチカと目が合った。笑っている。
「だって、ラボでもアルがいるからね」
「……そうか」
二週間ほど生活をしているうちに、レチカはすっかり打ち解け、アルブレヒトに心を許すようになっていた。ドクターと言う敬称が消えるまでに五日、面倒だからと名を縮めるようになったのは十日ほど経った頃だっただろうか。
レストランを後にし、家に帰る。レチカは「明日は大事な最初の実験だからね」なんて言って、二週間の間にアルブレヒトが買い与えたバス・グッズをいそいそとテーブルに並べた。
「アル、一緒に入ろうよ。これ、すっごいいい匂いのオイルだよ? アルも使ってみたら?」
「遠慮しとく。一人で入れ」
ソファーにもたれ、モバイルでニュースを流し見ながら言うと、視界の隅で少年がむっと頬を膨らませるのが見えた。
「なんで?」
「ラボとプラント以外でお前の裸見たら多分勃つから、俺」
これ以上なく簡潔に返すと、レチカは黙り込んだ。
「アルは」
ソファーにバス・オイルのボトルが沈む。ぎ、と音を立てて、アルブレヒトの両腿の間にレチカが膝を突いた。
「ボクのことが好き? 性的興奮を覚える?」
「お前って言うか、お前みたいな見た目のやつが好みだな」
「なるほどね。それで成人じゃなくて、これくらいの年齢に設定したんだ?」
「そういうこと」
ふぅん、と小さな顎を上下させて、レチカが囁く。
「じゃあ、セックスする?」
「同意のないセックスはしない」
「ボク、多分拒絶しないと思うけど」
「それは設定上、マスターである俺を拒絶しないってだけだろ。それとこれとは別の話だ」
「変なの。アルって道徳と倫理がないくせに、変なポリシーあるね」
そう言ったきり、レチカはアルブレヒトから離れた。ソファーに放っていたボトルを掴んで、まるで話などなかったかのようにひらひらと手を振ってくる。
「じゃ、入ってくるね」
去って行く小さな背中を見送りながら、アルブレヒトは思わず息を吐いていた。
エクレチカ・レチカと肉体関係を持ちたいかと言われたら、それはもちろんイエスだ。彼は種別で言えばデータベース直結型の情報処理ギフテッドであり、ネットワークを経由してリアルタイムで脳のバックアップも取っている。もしレチカと関係を持った場合、同僚がデータを遡ったらすぐに分かるだろう。
だが、そんなことはどうでもいいと思えるほどに、レチカは魅力的な少年であった。
予算の大半を注ぎ込んで完成したギフテッドは、利発なだけでなく、アルブレヒトに懐いている。彼自身が言った通り、アルブレヒトが「したい」と一言言えば、きっとレチカは拒まないだろう。
(でも、それじゃつまらないだろ、レチカ)
ずるずるとソファーに身を沈め、持っていたモバイルを横に放り投げて目を瞑る。
テストは、もう数時間後に迫っていた。
◆
テストは、トラブルなく進んだ。
最初の実験と言うこともあって、脳に流し込む情報量も規定より少なくした。――少なくとも、アルブレヒトたち研究員はそのつもりであった。
テストは無事に終わった。バイタルも正常。脳波にも異常なし。ほっと安堵の吐息を漏らした同僚たちを横目に、アルブレヒトは隔壁の向こうにいるレチカへとマイク越しに話しかける。
「今日の実験は終了だ。お疲れ、レチカ」
シートへ体を固定していたベルトを、医療スタッフが外す。そのスタッフの肩に手を置いたかと思うと、レチカは自由になったばかりの体を引き絞るように動かし、一目散に実験室から走り去っていった。
「――レチカ!?」
まさか、実験への拒否感でも生まれたのだろうか。テスト体である以上、デザインする際にマスターであるアルブレヒトだけでなく、研究や実験自体への拒絶もしないよう脳を弄ってある。カウンセリングか、はたまたプラントに戻して脳のメンテナンスか――そんなことを思いながら、実験室を出、レチカが去って行った方を追いかける。
医療スタッフに聞くと、行き先はすぐに分かった。
「レチカ」
実験室のすぐそばに設置されたトイレ。開け放たれた個室で、レチカは嘔吐していた。
「頭、ぐるぐる、する……。気持ち、わるい……」
「自覚症状はそれだけか」
研究者の顔で問いかけるアルブレヒトに、レチカはぐいと口元を手で拭って振り返った。
「……うん」
胃の中をすっかり空にしたせいで顔は青ざめていたが、表情は毅然としていた。
「アル、今度からテストの前はご飯、いいよ。点滴か高カロリー飲料にして」
「いいのか?」
「毎回吐きたくない。かっこ悪いもん」
手洗い場で口をゆすぎ、顔を洗うと、レチカは元通りのテスト体ギフテッドとしての自分を取り戻していた。
「……そうか」
切り替えの早さに驚くと同時に、喜びも覚えた。この少年はそうでなくては。
それからは、ある種単調であるが、充実した日常が続いた。レチカとともに家を出て、彼を使ってテストをし、検証を終えて再びともに帰る。翌日にテストのない週末などは、外食をしたり、なんてことないことをしてすごした。
レチカと親しくしているのにいい顔をしない同僚もいたが、気づかぬ振りをしていた。彼らにとっては「たかがテスト体」かもしれないが、アルブレヒトにとっては、かけがえのない存在であった。
自分の好みの外見と、先進的な実験に耐えうるだけの高スペックのギフテッド。だが、最早アルブレヒトにとって、レチカはそれだけの存在ではなかった。
恋人と呼ぶには、レチカ曰くの「変なポリシー」が邪魔をする。都合のいい人形と言うには、あまりにも手に余る。だが、彼が来るまでの一人暮らしを思うと、なんとも退屈に思えた。
(相棒、パートナー? 俺とお前って、なんだろうな、レチカ)
だが、日常は呆気なく休止符を打った。終わりのそれではなかったのは、ただレチカが常時バックアップを取っているギフテッドであるから、と言うだけであった。
その日もいつも通り、実験を行っていた。実験では様々な情報をレチカの脳に流し込んでいたが、その日は処理速度の質は問わず、高負荷に耐えられるかどうかをテストする実験であった。
変化は、目に見えて分かるものであった。
情報量が一定量――通常のヒトの脳で耐えられるラインを遙かに超えている――をすぎた辺りで、ベルトに固定されていたレチカの体が、釣り上げられた魚のように激しく跳ねた。
モニターはアラートで明滅し、計測機器のAIが至極冷静に告げた。
『テスト体、生体反応ゼロ。――繰り返します。テスト体、生体反応ゼロ。テスト体――』
「エクレチカ、脳波停止! バイタルも取れません!」
それはモニターを見ていれば分かるし、AIとてアナウンスしている。それでも隔壁越しに情報を受け取るだけでは我慢出来ず、アルブレヒトはモニタリング・ルームを飛び出し、レチカがいる実験室へと走っていた。
何本ものケーブルが繋がれた人が一人もたれかかれる形のシートには、ベルトで固定されたエクレチカ・レチカが横たわっていた。激しく動いたからであろう、頭部や腕に貼りつけていた電極のシートは剥がれている。頬を支え持つと、開いた口からは唾液が泡となって零れ、愛らしく笑む双眸は白目を剥いていた。
「シートから心臓マッサージを!」
「も、もうやってます!」
モニタリング・ルームへ向かって叫ぶと、同僚の慌てた声が返ってきた。
だらりと垂れ下がった手を取る。手首に触れても、脈は感じられなかった。
「……レチカ! エクレチカ!」
肩を揺さぶると、動いたことによって開きっぱなしになっていた瞼が閉じた。
幾度名を呼んでも、体を揺すっても、閉じた瞼が再び開くことはなかった。
予感も余韻もない、ひどく呆気ないもの。それが、「一人目」のエクレチカ・レチカの死であった。
◆
ぺたぺたと靴底が廊下の床を擦る音がする。顔を上げると、白く長い裾から細い二本の足が覗いていた。
「……アル」
通常、死を経験したギフテッドは、「それまで」の記憶を保持することは出来ない。だが、バックアップを取っていれば、細かい記憶などの欠落こそあれ、おおよその経験や記憶を引き継ぐことが出来る。
リアルタイムで保存されていたバックアップを脳にインストールされた、培養ポッドから引き上げられたばかりのギフテッドが、プラントのロビーで笑うこともなくひたりとアルブレヒトを見つめていた。
「身体検査、終わったよ。脳へのインストールも問題ないだろうって」
「そうか」
「タクシーは待たせてるんだよね? 帰ろう」
「……ああ」
短い会話を済ませた後、ギフテッド――エクレチカ・レチカと名付けられた少年と、着替えを済ませ、オート・タクシーへ乗り込む。
タクシーの車内は無言であった。研究者の好奇心からレチカに色々と聞きたい気持ちはあったが、それと同時に、死を経験したばかりの彼のメンタルをケアすべきと言う思いもあった。
無言のまま、自宅であるマンションに帰る。部屋のある最上層に着いても黙っていたレチカは、玄関のロックを解除し、リビングに辿り着いたところで、ようやく口を開いた。
「アル」
「……どうした、レチカ」
「そこに座ってくれる?」
そう言って指差したのは、リビングに置いてあるソファーであった。
言われるがままに腰かけると、すぐ目の前にレチカが立った。小さな手が動いて、アルブレヒトの頬をくるむ。
手が伸びてきた時、ほんの一瞬、首を絞められるかと思った。マスターであるアルブレヒトにそんなことを出来る権限は備わっていないにもかかわらず、そんなことを思ってしまう辺り、それなりに疲れているらしい。
「意外。へこんでる?」
観念するように肩を竦め、アルブレヒトは眼前に立つレチカを見上げた。
「……初めてギフテッドを――お前を死なせたからな。いつも頭の隅で予行練習してたが、実際に起きるとそれなりに動揺するらしい」
「そう」
手が動いて、頬を撫でる。指は顔のつくりを確認するように鼻筋に触れ、瞼に触れ、眉に触れ、脳の入っている額に触れた。
「お前がギフテッドでよかったよ、レチカ」
「どうして?」
問いかけは静かなものであった。それにどこか安堵しながら、アルブレヒトは長い吐息の後に続けた。
「俺好みのやつが簡単に死ぬような人間じゃなくてよかった。ギフテッドは、バックアップさえ取っていれば、理論上は永遠に生きられるからな」
「うん。そうだね」
顔に触れていた手が離れる。かと思うとするりと首に伸びて、枝みたいに細い腕が首に絡みついた。
抱きつかれている。だけではなく、キスもされている、と気づいたのは、アルブレヒトの唇からレチカのそれが離れてからであった。
「……前に同意がなかったらしない、って言ってたよね」
レチカの細い体が腿に乗る。心地よい重みであった。
「するよ、同意。セックスしよう。ボク、アルとしてみたい」
「……本気か?」
「冗談でこんなこと言うと思う?」
レチカの手が、アルブレヒトの手を取った。指を組むように握られたが、手の大きさが違うせいで、少年の手がじゃれついているように見えた。
小さな手だ。アルブレヒトが組み上げた、プロジェクトの根幹を担う少年。呼吸をする理想。
(お前が俺の運命だ)
思わない、と返す代わりに、頬に口づけた。細い体を、目一杯に抱きすくめる。
めくり上げたシャツの裾から手を突っ込む。初めて触れるレチカの肌は、思っていたよりもすべらかで柔らかく、いつまでも触れていたいとさえ思えた。
「……好きだ、レチカ」
「知ってるよ」
ふふ、と楽しそうに唇の両端を持ち上げ、レチカが笑う。
二人がベッドルームに移動するまで、そう時間はかからなかった。
◆
「……ル、アル」
「ん?」
「ん、じゃないよ。話しかけてるのにぼんやりしちゃって。疲れてる?」
「いや、実験終わりのお前よりは疲れてない……が」
どうやら、数分ぼんやりと過去に思いを巡らせてしまっていたらしい。
そんなアルブレヒトのことを不審に思いつつも、とりあえず話を先に進めようと判断したらしい。レチカはモニターのうちの一つを指差して、あれやこれやと実験の所見について話しだした。
「それでここが……アル? ちょっともう、本当に話聞いてる?」
「一度目」の時から一年以上が経ち、もう既に彼の体は四体目のものとなっていた。それでも、あの時のことを忘れることはないだろう。体温の失われてゆく手と、小さな唇の感触。それから、笑みとともにアルブレヒトという歪んだ「個」を受け入れてくれたレチカのことも。
二人の関係はプロジェクトが終わるまでの期限つきだ。であるならば、その間はこの少年の全てを味わい尽くしたい。
「聞いてるよ。……お前ってやっぱり最高だなって思って、さ」
冷えた手を温めるように自らの手を重ね、揉むように動かす。それがくすぐったいのか、レチカは声を転がして笑った。
「当然でしょ!」
「だな」
たまには好きなものでも食わせてやろう。そんなことを思いながら、アルブレヒトは彼からの直感的なフィードバックを受けるのであった。